金曜日のアニラオです。2月上旬は毎年、日本からのショップツアーさんが多い時期。水温は25度台で、少しひんやりしつつも、潜り続けるにはちょうどいいコンディションです。
今日は関東の大手ダイビングスクール、パパラギさん御一行をお迎えしています。


夜は浮遊系ナイトダイブにも出る予定。短期日程ではありますが、今日と明日の2日間、アニラオの海をしっかり楽しんでいただけたら嬉しいですね。
パパラギという言葉のもともとの意味
そういえば「パパラギ」と聞くと、子どもの頃の記憶が少しだけよみがえります。両親の蔵書だったのか、父の本棚だったのか、はっきりとは覚えていませんが、確かにそのタイトルの本が家にありました。
実際に読んだかどうかは定かではないのですが、「パパラギ」という言葉自体は、ずっと頭の片隅に残っていました。
「パパラギ(Papalagi)」は、南太平洋サモアの言葉で、「外から来た人」「海の向こうから来たよそ者」といった意味を持つ言葉だとされています。
白い服を着て船でやって来た西洋人を指して使われた言葉で、そこには善悪の評価というよりも、「自分たちとは違う世界から来た存在」という距離感が含まれていたようです。
この言葉が広く知られるようになったきっかけは、ドイツの作家エーリヒ・ショイルマンによる著書『パパラギ』でした。
この本では、サモアの酋長が西洋文明を観察し、
・時計に縛られる生き方
・お金や所有に追われる暮らし
・自然から切り離された生活
といったものを、皮肉と驚きを交えて語ります。
ただし現在では、実際の酋長の言葉をそのまま記録したものではなく、文明批評を目的とした思想書として読むのが一般的とされています。人類学的資料というより、「西洋社会を相対化するための物語」と捉えたほうがよさそうですね。

電子書籍も出ているようなので、久しぶりに読み直してみようかな。
日本のダイビングサービス名としてのパパラギ
現在、日本で「パパラギ」といえば、やはりパパラギダイビングスクールを思い浮かべる方が多いでしょう。
実際、アニラオの常連ダイバーさんの中にも、日本でダイブマスター講習をパパラギで受けた、という方は少なくありません。
スクール名と書籍『パパラギ』との直接的な関係は、公式には見当たりませんでしたが、名前の使われ方としては、
・日常から一歩外へ出る旅人
・海という異世界に入っていく存在
・学ぶために訪れるよそ者
といった、前向きで中立的な意味合いとして再解釈されているのではないか、そんな気がします。
批評される側としての「パパラギ」ではなく、自分から「よそ者であること」を引き受けて、海に入っていく存在。ダイバーという立場には、案外しっくりくる言葉なのかもしれません。
海に入ると、人は必ず「よそ者」になる
ダイビングをしていると、誰もが一度は感じるはずです。
・海では人間は圧倒的に不利な存在
・生き物たちの世界に「お邪魔している」立場
・環境を完全にはコントロールできない感覚
私たちは海の住人ではありません。観察者であり、訪問者であり、外来者です。
この感覚こそが、「パパラギ」という言葉の核心に近いのではないか、そんなことを考えたり考えなかったり。
自分はこの世界の中心ではない。世界はさまざまな要素の重なりでできている。
そう意識できるダイバーほど、
・無理な接近をしない
・生き物を追い回さない
・環境に配慮した行動を選ぶ ようになる気がします。
「自分はよそ者である」という自覚は、ダイバーとしての倫理観や、観察者としての姿勢と、案外相性がいいのかもしれませんね。
あれこれ考えてしまいましたが、まずは原点回帰。
元祖『パパラギ』を、もう一度ちゃんと読んでみるところから始めようと思います。ポチリ。
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