始まる前から色々ケチが付いていたオリンピック、昨晩開会式でした。スポーツ観戦は積極的には時間をとってみないものの、見て苦痛でもなく、むしろ感動もしてきた自分がいたので、しばらく前に、自分なりに、オリンピックを含むスポーツ観戦をする意味を考えてみていました。
自分の中に見いだせたのは、主に3点。
1)自分にはできない能力・身体への驚嘆
訓練された人体は、それだけで美しいと思います。動物だって、強い個体には畏敬の念を捧げるはずで、多分自分もそう。
放送が始まって追加で感じたのが、人間が集中力を高いレベルで研ぎ澄ましている様も、日常生活ではなかなかお目にかかれないものだと思いました。時間のみは人類に平等に与えられたものであるなかで、単位時間内最大集中力で達成できるパフォーマンスを、世界レベルの大会では見ることができます。
2)見たことがない景色への驚嘆
特大アーチ、早すぎる泳ぎ、回転しすぎる身体など、自分が経験したことのあるスポーツであればなおさら、そのパフォーマンスの偉大さに気づきます。
開閉式の演出もこれに当たります。
広い意味では、自然をみて感動するのも、これですね。
矮小な類似としては、新情報で脳が喜ぶSNS中毒。
3)努力が報われたことへの賛辞
目標に向かって努力を続けることは美徳だとされていて、世界一に至るには、凡人には想像できない高度な努力を、長い期間続ける必要がある、金メダルへの過程を想像すると、驚くべきことですよね。
と自分を分析してみると、応援する対象はどの国出身かは関係なく、金メダルを目指して集中して試合に望んでいる競技者全部ということになります。
日本の放送局が放映している場合、3)の困難や努力の過程を親切にも報じてくれるので、その点は良い点ですね。
最近KindleUnlimitedで見つけた、草薙龍瞬著『これも修行のうち』。去年のロックダウン中に読んだ本の中で一番心に刺さった、『反応しない練習』のある意味続編に当たる本です。ちょっとタイトルが宗教臭いですが、内容はこれまた、かなり良いです(ロックダウン中に読んだ本については、Kindleで出版中の拙著『中年ニートフィリピンダイアリー』をご参照ください)。
その中で、スポーツ観戦する理由として自分が気づいていなかった視点を一つ見つけました。
曰く、ブッダの知恵の理解では、人間の快には4つあって
あ)欲求が満たされたとき(欲の満足)
食欲・睡眠欲・承認欲など→市販のノウハウ本でどうぞ
い)不快な感情から開放されたとき(心が浄化されたときの快)
う)感覚・思考・意欲に快や楽しさを感じたとき(人さまざま)
え)相手の喜びに共感できたとき(喜の心で反応したとき)
その中で、え)の視点で競技勝者の喜びに共感すると、自分の快レベルが上って、人生が豊かになるということで、4)世界最高のプレーヤーに喜の心で寄り添う があるなぁと。
時間を割いて見る準備もできたことだし、まずは長い開会式を乗り切るための、木曜日に買ったキンミヤ焼酎18リットル(25%が品切れだったので、20%で我慢)解禁。
とおつまみに、直前にルスタンで見つけたOishiの塩卵味を試してみることに。オリジナルか、チリ味の方が好みです。粉っぽい上に、はっきりしない味なので、もう買うことはないでしょう。
入場行進曲がドラゴンクエスト他、聞き覚えのあるゲーム音楽だったのがびっくりでかつ、なんだか嬉しかったです。トランペットでもドラゴンクエストのロトのテーマは吹けるみたいなのだけれど、複数本必要なんですよね。トロンボーンの人と組んで、いつか吹ける日が来るのでしょうか。こんな些細なところでも中年オヤジに開会式からして夢を与えるオリンピックでした。
アルファベット順でなく五十音順でフィリピン登場。金メダルには500万ペソ(約1,100万円)の報奨金が出るらしい。
とにかく、参加のアスリートの皆さん、頑張ってください。見る機会があったら、たまに驚嘆・賛辞・感動させていただきます。
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