スタッフに伝えようと思う北海道で考えたこと

マニラ行動日。明日買い出しの後アニラオに移動するのですが、明日のミーティングで、先日奥さんの誕生日で訪れた冬の北海道のことをスタッフに伝えようと思うので、メモを作成。こんなことを話そうと思っています。

北海道はミンダナオ島より少し小さい  

実際には、「フィリピンの本島であるルソン島と同じくらい」という方がサイズの比較には適しているのかもしれませんが、それぞれその国の「本島」ではないので、ミンダナオ島と比較してみました。  

飛行機で東京から90分ほど。日本海側(ナメダンゴさん家)から釧路までは車で休憩しながらで6時間ほど。

北海道で実感する「備えなければ生きられない場所」  

北海道を旅して、まず理解したのが、死ぬかもしれない寒さでした。24時間暖房を切ることはできません。丹頂鶴を観察しに行ったときに借りたコテージも、本州だったら外出時には火事が危ないので暖房を切るところですが、コテージオーナーから「火は落とさないでくれ」とのお達しがありました。一旦冷えたら、再び快適な温度になるのに時間がかかるらしい。  

丹頂鶴をまで車で15分。おしゃれなコテージ、Hororo Style

一般家庭でしばらく家を空けるときには、水を落とさないと水道管が破裂すると、家を空けて北海道を横断してガイドをしてくれたナメダンゴさんがおっしゃっていました。大雪で車内に閉じ込められれば、助けを呼べる民家まで数キロという地点なんてことも、広い北海道ではざらです。  

北国では、備えがなければ人は生きていけない。本州の冬も大概、準備なしの路上暮らしでは危険ですが、北の大地ではその度合いが関東人、ましてやフィリピン人には想像のかなり上の位置にあります。  

フィリピンの自然は、確かに台風などもあったりしますが、いきなり死に直結するような猛威を振るわれることは稀です。一方で、北海道の冬は違います。無知だったり備えがなかったりしたら、「普通の」暮らしもままなりません。  

日本の中にいながら、まったく異なる世界に来たような印象を受けたものです。

開拓の野心と「ここではないどこか」  

広大な土地。見渡す限りの雪原。広大な土地をよくも開墾したものだと感銘を受けました。  

ふと頭をよぎったのは『ヴィンランド・サガ』に描かれるトルフィンたちノルド人の姿。彼らは、より良い土地を求めて移動し、入植を試みました。「ここではないどこか」を目指して。  

それに対して、ネイティブアメリカンやアイヌの人々は、自然を崇拝し、その中で生きることを選びました。拡張しない文化。奪わない生き方です。  

先日思い出すことになった、書籍の方の『パパラギ』に書かれているのも、こういった近代的な拡張主義というか、「もっと便利、もっと儲かる」への批判でした。選んだわけではないけれど、たまたまそういうメッセージを持つ作品群が身の回りに最近集まってきているみたいです。  

とにかく人類は、「もっと豊かに、もっと楽に、もっと幸せに」が好き。あれだけの広い土地に入植して開墾していった人たちの動機に思いを馳せると、「スゴイな」とただただ感心するばかりです。  

そういえば、一旦途中まで読んではいたものの、完結するまで凍結していた『ヴィンランド・サガ』。去年最終巻が刊行されたというので、ここしばらく読んでいたのが読了しました。  

漫画の『ヴィンランド・サガ』は、実在した人物(ソルフィン・カルルセヴニ・ソルザルソン)を題材に、大幅に脚色された復讐と許しの物語です。  

キリスト教文化圏が絡む話でもありますので、一応クリスチャンの私に刺さる場面も多かったです。  

お気に入りのセリフは、  

  • 私に敵はいません  
  • 「仕方がない」と戦ってきた  
  • 次はうまくやる  
  • ギャクにハイセンス

 です。

ヴィンランド・サガファンの方、いらっしゃいましたら、好きなシーン・セリフを教えて下さい。(^^)

地方で感じる過疎  

釧路は、北海道の中では第6位と決して小さな街ではありません。それでも、街を見ていると「店が減っている」場面に多々遭遇します。  

これがさらに郊外となれば、なおさらでしょう。  

人口が減り続けるこれからの日本は、どこへ向かうのか。以前、人口が少なかった時代に戻るのか。もしそうだとすれば、それはいつの時代なのでしょうか。  

そんなことを考えていると、ジブリの『もののけ姫』の世界を連想します。人と自然がもっと近いが、棲み分けられている時代。  

このまま人口が減っていったときに、都市部に人は集中させて、郊外へのインフラ投資は最小限になるか、しなくなるという説があります(コンパクトシティ論)。  

エゾヒグマは冬眠してくれていますが、エゾシカはあちこちに。畑をもっていたら、溜まったもんじゃないですねこれは。新芽を食べられたりで、湿原の植生も変わってきているのだそう。

便利で集約化された街と、その遠くにある原始の香りのする自然エリア、そういう日本にそのうちなっていくのでしょうか。

日常と非日常  

北海道の人にとって、あの雪は日常です。フィリピンから訪れた私たちにとっては、完全な非日常でした。  

同じように、アニラオの海は、私たちにとっては日常です。しかし、外から(主に日本から)来る人にとっては、それが非日常になります。  

ここで大切なのは、どちらが特別かということではありません。日常と非日常は、見る側の立ち位置によって簡単に変わるということです。  

そして、アニラオの日常は、訪れる人の非日常として、とても役に立っています。単調な日常から一歩外に出て、水中で深く呼吸し、なぜか明るいフィリピン人スタッフに出迎えられて、自身を取り戻す場所として機能しています。  

アニラオの夕日や海、少し湿った温かい風など、アニラオのすべてが疲れた思考をリセットし、生き直す力を与えることもあるのです。

なんてことを伝えようと思いますが、口頭で伝える以外はタガログ語の文章で後でスタッフのグループチャットに投げますかね。

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