[:ja]史上最強の哲学入門[:]

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ここ数日ちょっとドタバタしていて、外出もせず、ブログネタもないので、少し前に読んだ本のまとめを紹介したいと思います。

飲茶著『史上最強の哲学入門』

210508seiyoutetsugaku

元々は、岡田斗司夫氏のYouTubeで紹介されていて、興味を持ったやつです。

人事、経理、社会学、経営学など、実学っぽい本も読んで役に立つのですが、こういうコロナで精神が不安になりそうな時期には、哲学のように根本問題(答え出ないですが)を考える問に立ち返る時間を求める欲を満たすのが一番だと思うときもあります。

天才といってもよい先人たちも悩んだのだから、日々の小さい悩みで人生が嫌になるのはやめにしようとも思えますし。というわけで、哲学入門書はこれまで何冊か読んできたのですが、この、刃牙(グラップラー刃牙、知らないですよね、普通。私も7作中1作しか読んだことがないです)成分てんこ盛りの本書、かなり良かったです。

真理、国家、神、存在の4つのトピックについて、西洋哲学がどのように考えてきて、それぞれのトピックについての最強哲学者を生んだのかという、通史のようになっているところがその良さです。

これを書いているときには、姉妹本の『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』も読み終わった後だったので、自己について考えるときの東洋哲学の説明の仕方の良さも、西洋哲学者の思考との比較でわかってよかった点。

周囲の環境からのストレスで、煮詰まったとき、哲学入門書に逃避?するのは一つのオススメです。少しは心が安らぐかも。

以下、超長文読書メモです。本で得た知識は基本スタッフにも共有したいと思っているのですが、哲学は説明する英語力も、スタッフの興味のニーズともかなり遠いので、できずじまい。

史上最強の哲学入門

■真理
●相対主義のプロタゴラス 絶対的真理はない
 ひとそれぞれ。ポリスの外には違った神話があった。人間は万物の尺度。論戦に負けない。

●人それぞれでは、真理を求める熱い気持ちに答えない。
 相対主義が極まると、民主主義は衆愚政治に陥る。
 詭弁的政治家へのソクラテスの問い。それってどういう意味?→自分も真理については何も知らない(無知の知)。だから、相対主義でなく、真理が知りたい。
 「この世界には命を賭けるに値する真理が存在し、人間は、その真理を追求するために人生を投げ出す、強い生き方ができるということ」悪法も法で、毒杯を飲む。→プラトンを感化

●絶対的真理、近代になるまで見つからない。
 中世は宗教。ルネッサンスや宗教改革で人間の理性に注目した近代がはじまる。
 理性で真理をつかもうとする、デカルト。「我思う、ゆえに我あり」。数学者。
 数学は、公理から定理を導き出す。哲学もそうできるのではないか?「誰もが正しいと認めざるを得ない確実なこと」からスタートしたい。
 疑っている自分だけは存在する に到達する。

●疑っている自分は存在し、その存在が理解したり認識するものは確実に存在する。神が私を作ったのだから という結局は神頼みのデカルト。
 →批判として、イギリス経験論のヒューム。
  「私」だって、いろいろな知覚経験の継続によって生じている擬似的な感覚だ。「〇〇を明晰に認識した」という考えは、全て経験によって形作られているが、その経験がホントウの現実と一致している保証はなにもない。
 過去の経験の組み合わせからできた、現実には存在しない概念=複合概念 例)ペガサス
 神も複合概念
 科学も経験上の思い込みを絶対化しているにすぎない
 徹底して、完成。他の哲学者を唸らせる。

 →東洋ではブッダで通過済み

●懐疑するだけでは何も始まらない。「懐疑できないなにか」はみつけられないのか。
 ヒュームの言う通り、人間は経験から知識を得ている。だが、その経験の受け取り方には、人間としての特有の形式があり、それは経験によらない「先天的(生まれつき:ア·プリオリ)」なものなのだ。のカント。 数学など、人類に共通して理解できるものの理解。
 空間·時間
 「人間として」普遍的な真理、学問を打ちててることは可能だ。
 人間の(それぞれの生き物の)知覚では、モノ自体には到達できいない。
 それぞれの生き物にとっての真理がある。
 「人間」のためだけの真理なら、あるかもしれない。「真理とは人間によって規定されるものである」

→人知を超えた真理から、人間にとっての真理への 転換。
 角を曲がっただけに、カント(笑

●人間にとっての真理はあるが、到達の仕方を示さなかったカント。
 弁証法(闘争)だ! ヘーゲル。
 多くの人の手と長い時間をかけて。四角と丸と円柱。

 歴史も弁証法だ! 実際、王政国家から民主国家への転換期にたちあったし。

●弁証法だって、誰かに弁証法的に否定されなければならない。
 弁証法は、人間個人にはなんの役にもたたない。人類にとってより、自分にとって。「私がそのために生き、そのために死ねるような真理。そういう真理を見つけることこそが重要だ」キルケゴール

●ヘーゲルとキルケゴールの対立に
 「だったら、いっそ、究極の真理を求める歴史の進展を、僕たち自身の手で進めてみようじゃないか」アンガージュマンのサルトル

 「人間は自由の刑に処せられている」「人間は自由に呪われている」のサルトル
 どうせ自己責任。失敗の責任を引き植えて積極的に決断してやれ。いっそのこと、人類を理想の社会、真理に向かって進展させる歴史という大舞台にたってみたらどうか。
 →共産主義革命や学生運動に多くをかりたてる結果に。

●真理は一つの方向で進むわけじゃない
 サルトルと友人のレヴィ=ストロース
 「サルトルのいう、人類が目指すべき歴史なんてほんとうにあるのか」
 未開の地にも、驚くほど合理的で深遠な、彼ら独自の社会システム=構造があった。
  →西洋人の思い上がりはやめろ。

西洋と東洋の歴史
西洋:一歩一歩階段を登るように、究極の理想、神、真理へと近づいていく過程。何月何日これこれ。。。
東洋:時間は一直線ではなくて、輪のように巡るもの。逸話、神話、物語として本質を取り出し伝える方法。

 →サルトル下火に。西洋の傲慢は反省?

●ヘーゲル的により良い方向に行くはずが、二度の世界大戦
 ←批判的な見直しで現代哲学が現れる
中世哲学:信仰によって真理に
近代哲学:理性によって

実用主義(プラグマティズム)のデューイ 道具主義
 で、結局なんの役に立つの?の問いかけ。
 「人を殺してはいけない理由は?」そうしておいたほうが、みな安全の素晴らしい道具。

 「Aを信じることが人間にとって有用性があるとしたら、Aの真偽によらず、Aは真理である」

●ポスト構造主義:ジャック·デリダ
·音声中心、話し手中心の西洋文明 話し手の意図重視
·読み手(聞き手)中心 読み手の解釈の方が大事なのではないか?

 決して手に入らない真理(意図)をめぐって、不毛に争い合う西洋的な考え方を悲観し、他者による再解釈を許容する、新しい価値の可能性を示した。

 →人それぞれでいいって、プロタゴラス?

そうせざるを得ない現代の2要点
1)真理を求める闘争は致命的
 核兵器他の殺戮兵器

2)あらゆる学問での限界点発見
 物理学の不確定性原理:原理的に絶対に観測不可能な領域がある
 数学の不完全性定理:数学は自分自身の中に「ホントウに成り立っているかどうか証明できないヘンテコな命題(数式)」を作り出すことができてしまう定理。

現代哲学のキーワード
理性批判
西洋批判
真理批判

他者

●他者論のレヴィナス
 ユダヤ人でナチスの迫害にあう。明日殺されるかもしれない。
 その死とまったく無関係に存在し続ける「世界」に恐怖した。その恐怖をイリヤ。自分に対して無関係な他者で構築されている。
 『』でくくる、「他者」=違うと否定する者
 誰にも否定されない絶対的な真理を作り出すことは、他者論にあってはできない。

その一方で
「他者とは、私という存在を自己完結の独りぼっちから救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性である」。
 「ホントウ(真理)」とは、実のところ、わけのわからない「他者」と相対しているときにのみ使われる言葉なのだ。他者が生み出す新しい可能性ともいえる。

 真理は人それぞれ。でも、それを求める熱い想いを人類は今後も持つのだろうなぁ。

■国家
●プラトンが最初に考えた。
「イデアを知ることができる優秀な哲学者が王になるべき。もしくは、王は哲学を学ぶべき」哲人王思想。
 ←師匠のソクラテスを殺した衆愚政治への反感

 「哲人王がいないのであれば、つくればいい」→アカデメイア

●そのアカデメイア出身のアリストテレス 
 イデアの証明はどうすれば? 役に立つのかも疑問。
 物事の特徴を観察して抽象化したほうがよい。→天文、気象、動物、植物、地学 万学の祖

 イデアがないなら哲人王も成り立たない。

ありうる政治体制と陥りやすい罠
1)君主制→独裁制 王が好き勝手やって国がボロボロ
2)貴族制→寡頭制 権力争いをやって国がボロボロ
3)民主政→衆愚政 みんなが政治に無関心になって国がボロボロ

革命で変わる。

●ところで、なぜ国家に支配者が必要なのだ?
 「放っておくと勝手に殺し合いをしかねない人間が、「架空の支配者」を作り出し、国家という仕組みを作った。」ホッブズ 17世紀 それまでは、神が王の地位を与えていた
 ホッブズの人間観は否定的なもの。長く続く宗教戦争を見てそう思ったのかも。
 神の名で行われてきた国家の存在理由についての説明だった。リヴァイアサン

 真のリヴァイアサンが現れ、すべての国家が「他国を攻撃する自由」を放棄するとき、ホッブスが追い求めた真の平和が訪れる。
 →沈黙の艦隊か

●その割には、王政で人は幸せではないですね
 自然状態で人は殺し合いをしない! ルソー
 大多数の幸福をもたらさない国家は解体して、もっと良い国家に作り変えてしまえばいい。
 人民主権
  主張は素晴らしいがダメ人間。尻だし事件他の売れない芸術家。40代で『エミール』教育学の祖。5人も子どもを捨てたのに。

 国家とは、公共の利益を第一に考えて運営される、民衆のための期間である」という現在に通じる国家観

●国家は人民主権でよいとして、経済は?
 「みんなが経済的に成功して、楽しく生きるための十分なお金を持っており、なんの不自由なく暮らしている」状態を作り出すには?→経済学の誕生 アダム・スミス

 商蔑視の世界観のなかで、金儲けをしたいという利己心が経済の原動力だといった。
 各自が利己的に利益を追求しても、『神の見えざる手』が調整する。

●資本主義は大成功しているけど本当か?
 マルクス「資本主義はみんなを不幸にして、必ず破綻する」
 資本家が労働者より儲かるが、資本者どうしの競争によって、割りを食うのは労働者。
 いつか労働者による革命がおこるだろう。

 資本主義後は共産主義がくるはず。→しかし失敗の歴史におわった。
1)平等なんてウソだった:共産党幹部が一番えらい。新しい貴族階級。
2)平等だからみんなやる気をなくしちゃった

 共産主義の良い点は、国家集中事業。宇宙開発やワクチンなど。ダメなのは、街の開発などの小回り。

資本主義は、消費経済。成長し続けなければならない。毎年の新商品。科学的に怪しいものだって、考え出して作り続けなければならない。資本主義社会を継続させるための労働。

 ネットで安価な娯楽もある世の中。働く意義が問いなおされる。ニートや、バイトで必要な分しか稼がない人が出てきているのは、資本主義社会の成長が飽和状態に達しているから。
 →環境保護、持続可能。というときに、「ほどほどでいい」というこの思想に寄り添うことが時節にあっているのだろう。
 労働の価値を見直す歴史的時期にさしかかっているが、国家は何もしない(神の見えざる手だから。新自由主義)。
 世界恐慌→国家統制、公共事業→ムダが増えて→新自由主義(構造改革と規制緩和、小さな政府(の割には日本国の借金多い))

ところで、見えざる手って本当にあるのか?

自由主義で負け組になった、過労、ワーキングプア、ニート他。歴史の最先端を生きる人間。の中から新しい価値が生まれてこないだろうか。新時代のルソーが求められている。

→プチクリ、評価経済、いい人戦略

■神
●アレクサンドロスが都市国家滅ぼしすぎて、人民は不安に。
キュニコス派:所有しなければ何も奪われない。
ストア派:理性に従って規律正しく。
エピクロス派:快楽だが、ここでいう意味は、「飢え、渇き、寒さ、暑さ」といった苦痛が取り除かれた「普通の状態」のこと。
「神様はいるかも知れないけれど、人間はそんなこと、いちいち気にしなくて大丈夫」。神様全盛期なので、みなに批判をされるが、人格的には愛された。
「真の快楽とは、友愛である」

●受難のユダヤ人
 連れさられ→奴隷→逃げ出す→悲惨な逃亡生活→やっと国が→滅亡→また奴隷
 「これは神の試練。頑張って耐えて、神を信仰し続ければ、きっと救世主がやってきて、救ってくれる」

イエス登場も、
「汝の隣人を愛せよ」
「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら、、」
「上着を奪うものには、下着も与えよ」
思ってたんと違う→死刑

十字架上でも自分を殺そうとする者の赦しを請う。
形骸化した宗教習慣の中で
「隣人を愛そう。敵でも愛そう。ただただ他者に優しくし、人間は、自分たちを創造してくれた神の愛を信じて生きよう」というシンプルな教えに共感を得た人は多かったのかもしれない。

●ローマで国教とされて、権力が生じる
 内部で主張が分裂。
 アウグスティヌスがまとめる。ツッコミどころをみつけて説明。完全な神がなぜ悪も?→人間を愛して自由意志を与えたから人間が悪を生むなど。
 そして、自分に正直。「ボク、性欲我慢できません!」
 神に「告白」して許しを請い、祈りましょう。懺悔的教義。他力本願ですな。自力より他力のほうが大衆の心をつかみやすい。浄土宗がそうであったように。

●12世紀頃、アリストテレスの著作(三段論法や論理学)が紹介されて辻褄の合わなくなった神学
 全能のパラドックス:全能の神は、自ら全能であることをやめて、全能ではない存在になることができるか?

 トマス·アクィナス(スコラ哲学)
  一番最初の原因があるはず。それが神。ビッグバン以前だって、ビッグバンを生じさせたのは何?
 「理性の範囲外にある心理については、神学でしか解答を出すことができない。それは神の啓示からでしか知ることができないのだ」
 哲学に一矢報いた。

●信仰で腹は膨れない。宗教改革で教会分裂。宗教戦争へ。権威失墜。
 19世紀ニーチェ「神は死んだ」
 「神とは、弱者のルサンチマンが作り出したものに過ぎない」

 古代においての善とは、強いことや力のあることだった。騎士的·貴族的価値観
 虐げられていたユダヤ人が逆転させた:僧侶的·道徳的価値観→キリスト教に引き継がれる
 イソップの酸っぱい葡萄。これらは、歪んだ人生で欺瞞だとニーチェ。
 24歳で大学教授の天才ニーチェ。のちに発狂。

 神の死んだ先まで考えたニーチェ。
 「超人」:強くなりたいという意志をしっかりと自覚し、それから目を背けないという一点において普通の人間と異なる。
 努力の先に何がある? 諦めの仏教的感じではだめなの?→東洋思想はどう?
 末人(まつじん)は超人の対極

神が死んだ先の指針について
 東洋哲学においては、神もなかったね。神も人間が作り出したもの。

■存在
●ヘラクレイトス 万物は流転する
 石は石としてしか考えられていなかった時代に、ヘラクレイトスは、石やリンゴを含む存在の正体を「一定の法則(ロゴス)に従って変化し続ける『何か』」であると見出した。

●ヘラクレイトスに反対して
 パルニメデス「存在とは、決して変化しない『何か』である。」
 リンゴの破片は細かくしてもリンゴ。

●ヘラクレイトスの万物流転、パル二メデスの万物不変。どっちなの?
 デモクリトスの原子論。不変の原子がくっつきはなれて物質を作る。→唯物主義者でもあった。生きているうちに楽しもう。笑う哲学者。
 機材的に証明するすべがないので、ここで手詰まり。

●中世の教会社会で文明は後退。ルネサンスまで待つ必要が。
 ニュートン。地上の運動と天空の運動を統一的に扱い予測できる科学の体系の始祖。

●物質がどう動くかの話で、物質とはなにか?物質が存在するとはどういうことか?への答えにはなっていない。
 バークリー新説「存在するとは知覚されることである」

●もしかしたら、この世界は、別世界の水槽の脳が見ている夢なのかもしれない
 フッサール「そんなことは証明不可能だから、考えるだけ無駄!」
 ある科学理論が本当に正しいかどうかよりも、なぜそういう科学理論が脳の内側に生じたのかという起源の方を問いかけるべきだと主張。
 あらゆる確信は、全て主観的な意識体験から始まっている。マッハの絵

 私たちの主観的な意識の上に起こるあらゆる体験を現象と名付けこの現象(意識体験)からどのような思い込み(人間の判断)が作られているか学問的に捉えなおそうと提案し、現象学という学問を創設。
 →NPLのベース?
 こういう意識体験からこう考えたのさという形式に還元できる:現象学的還元

●フッサールの現象学は魅力的だが、人としてはツマラナイ
 弟子のカリスマ、ハイデガー。雄弁で魅力的。
 『存在と時間』で、存在について語ろうとするも、絶筆。

●存在についての、一つの答え
 ソシュールの
 「言語とは、差異(区別)のシステムである」
 「言語体系の違い=区別体系の違い(何を区別するかという価値観の違い)
 存在とは存在に「価値」を見いだす存在がいてはじめて存在する。
→極めてブッダ、東洋思想的。存在については、東洋哲学の勝ち。[:]

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