アートは挑戦だ

日本行動日。実家にあった、五月人形(自分のために祖父母か両親が用意してくれた、40年前くらいの代物)などを処分すべく、地域の処理場に持っていくも、痛恨の5分遅刻。昼休みがあるなんて知りませんでしたよっ。

13時まで待つわけにもいかないので、家に戻って荷物をおいて、目指すは都内。と、その前に、ずっと行けていなかった、地元駅近所の煮干しラーメン、いりにぼのラーメン。まぁ、普通です。リピートはしなくてもいいかな。

午後の目的地は、上野にある国立西洋美術館。フランスのポンピドゥー・センター回収に伴う、50年ぶりの大キュビズム展だそう。フィリピンにいたら絶対ムリでしょうし、もう50年後も生きてはいないでしょうから、これは行くべし。

美術館入り口に、考える人、の大きいやつ。そろそろ50歳。私も色々考えなければいけない年頃なのでしょうか。というか、若いときのほうが色々考えていて、中年脳力劣化をどうにかしたほうがよいと考えさせられる今日このごろ。

地獄の門の上にあったやつだよね、と思っていたら、地獄の門ありました。門の上の方で悩んでいるのが、元祖(ミニ)考える人。ダンテの『神曲』読んだことないですが、気合い入れて読むには長いですが、古典中の古典ですからね、そうすべきですかね、ベアトリーチェさん。

ピカソさんいました。

そして、ピカソと二人ザイル登山の共同体の相方、「キュビズム」と表現されるきっかけを作ったブラックさん。もー、二人とも天才です。世界がこう見えるというか、そう構築できる感性は、どうも凡人と天才の棲み分けをわかっていらっしゃる感じ。

ポンピドゥー・センターの顔でもあり、キュビズムの顔でもある、ドローネの「パリ市」。でかいす。

国立西洋美術館の建物自体が世界遺産だったの、再認識です。いつぞやどこかのテレビ番組で言われてましたっけ。

で、その設計をした、ル・コルビュジエさん、実はキュビズムに大きな影響を受けていて、絵画も来ていました。

そもそも、日本に帰ってくるごとにできれば美術館に行こうと思うようになったのは、コロナ禍のときに視聴するようになった、山田五郎さんのYou Tubeチャンネルがきっかけでした。氏は、随分昔の深夜テレビの「たほいや」時代からのファンでもあって、いつかは山田五郎ヘアスタイルにしたいと思っているくらいにはファンです。

シャガールも出てくるし、デュシャンにも繋がってくる、超濃厚な現代のアートシーンが生まれいづる時代なのかの、キュビズム展、オススメでした。

常設展の方も、同じチケットで見てまわれるというので、これは行くべし。

古典時代の作品は、基本キリスト教を題材にしたものばかりで、フィリピンの教会にある絵画とかぶるものばかりなのと、山田氏のYou Tubeで取り上げる題材が少なかったのもあって、割りとスルー気味。

強いて言えば、磔刑といえばの、エル・グレコ。

と、ネロとパトラッシュの気分に浸れるかもしれない、ルーベンス。アニメ史に名を残す作品に出てくる作品の作者(ネロ・パトラッシュ昇天の絵画は、これではなくて、『キリスト昇架』と『キリスト降架』)の筆致が見られて、幸せ。

社会の教科書に載っている、「民衆を導く自由の女神」のドラクロワさん。

当時としては、超問題作(今じゃモザイク)の「世界の起源」のクールベ先輩。

本当だ、シャイ過ぎてモデルの目が直視できない俺たちのドガパイセン。

やわらかタッチ、ルノワールさん。

本人モジャモジャ髪のセザンヌさん。

印象派の兄貴、モネ先輩。

いっぱい書き続けた睡蓮の一枚がここにも。

日本を代表する、オンザ眉毛ぱっつんの藤田嗣治さん。存在感ありあり。

濃密な午後でした。

神話や聖書の画題を、当時はなかった写真のような精緻さで描いていく古典も、その存在意義はありだと思いますが、近代以降の、誰も表現したことのない何か、への執拗な挑戦は、人間存在がどこまで行けるのかという、根源的原動力を見せられた気がして、何だか頑張ってもいいのかなと想わせてくれるものでした。アートの存在意義って、結局そこですかね。

で、夕食は、本当はランチに来たかった、ろばた焼きの陸蒸気。この年になってくると、肉もいいけど魚がラブ。

備長炭で、焼き焼きしています。

秋といえば、秋刀魚でしょう。その他も、色々おいしゅうございました。

焼き物は焼き上がるのが遅いので、すぐ出てくるメニューもとりながらの、自分ながらの配分力を求められるお店でした。リピはないとは思いますが、一度はいってもよいかな、な良店です。

アニラオの方は、連続浮遊系ナイト最終日。今日もアミダコフィーバーだったようで、これまでの5夜で出たアミダコ総量を1夜で凌駕したとのこと。写真提供、ウキウキのお嬢さん。ありがとうございました。

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