ダイヤモンドソンブレロの夜に師を偲ぶ

 平日営業日のアニラオです。水温25~26度。

 洗濯場が暑いとおもったら、乾燥機にダクトつけ忘れていました。てっきり同時につけていたものとばかり思い込んでいたのは、フィリピンではしてはいけないことでした。

 裏の畑のカラマンシー(シキキツ)、寿命5年程度で、世代交代が進んでいます。長生きさせるためには上の方の枝を払って上に伸びないようにしておいたほうが良かったんですかね?

 手入れが悪くて枯れたとしても、ちゃんと落ちた実から芽吹いて次の世代が育つあたり、植物の侮れなさというかしたたかさを垣間見ました。小さな苗に実がつくようになるには、もうしばらくかかりますね。

 奇しくも死して後任に何かを残すことを思わせるイベントが。27年前に参加したフィリピンのワークキャンプを引率して、後に特活CFFの設立に一緒に関わった、フタゴイシさんが先日お亡くなりになったとのこと。

 27年前に同じフィリピンの地をともに踏んだ元キャンパーがオンラインで集まって、お別れの会用に歌を録音しました。彼がいなければ、フィリピンに深く関わることも、したがって今フィリピンでダイビング宿を開いていることもなかったですし、洗礼を受けたり、今の精神に至る師というか、第二の父親のような存在でした。

 マグダレナのパーティでダンス指導をしてくれたモンチ氏とも、27年前のキャンプを通じで知り合いました。そのモンチ氏がはなむけの歌に選んだのが、Paano Kita Mapasasalamatan。「どうやっても感謝を伝えきれない」という意味の歌。

 エモーショナルな曲調と歌詞で、こういうときのフィリピンの人の選曲は以前から素晴らしいものがあると思っていましたが、歌の力を今回も強く感じました。

 日本人側からは、キャンプでもよく歌った「翼をください」。エヴァンゲリオンバージョンもあったんですね。

 しかし、Zoomで、イヤホンを使うわけでもなく、通信回線の遅いフィリピンともつないでなので、バラバラの仕上がりになったような。思いついたらやる!というサトシやハナヨの役割と、やるならちゃんとやるべきというツッコミをしたがる自分と、30年近く経っても人は変わらないものです。

 若いときのようにキレなくなったところは、自分大人になったと思います。その一方で、人の気持ちをくんでかくまずかはさておき、シンパシーを感じて容易く行動におこすというのは、以前から周りにいてくれる友人や家族がいたからくっついていけたのだという、そういう変わらない自分も実感しました。今となっては、その役割は奥さんです。

 フタゴイシさん、86年の人生お疲れさまでした。沢山の若い人に引き継がれたであろうそのスピリット、しっかり後世に残されていると思います。若かった私が付き合っていたフタゴイシさんは、今の私の年齢よりずっと上なことを考えると、人生達観して引退するのは、まだまだ早いですね。何かもっとすべきことがあるのやも、と考えさせる、2023年2月のダイヤモンドソンブレロのあとの一時でした。

コメント

  1. 原田 ゆき says:

    先日、夫婦でお世話になりました。 その際、もうすぐソンブレロに沈みますよって おっしゃって もう少しで見れたのに残念に思っていました。 写真ありがとうございます。 良い天気できれいで良かったですね。 

    • adminvillamagdalena says:

      コメントありがとうございます。
      このところ夕日も良いですし、早朝の満月もなかなかに見頃です。
      冬場は雲が少なめで、良いシーンに巡り会えることが多くて、オススメです♥

タイトルとURLをコピーしました