17年前の服

パンガシナン州に分骨の父の墓参りの2日目。CFF(Caring for the Future Foundation)の児童養護施設の施設内の記念碑に詣でました。

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3人の名前の刻まれた記念碑。一人は、この子どもの家の発起人の3人のうちの一人のフィリピン人。40代で若くして亡くなった方の名。二人目は、熱心な日本人のクリスチャンで若い頃より昼食を断食してためた分の寄付をCFFにくださり、家族にもそのことを伝えなかった方。そして私の父。他の二人があまりに大きな寄与をしたのに比べて、申し訳ない程度の関わりでしたが、記念としていただいてありがたいことです。まぁ、その分母が今も続けて関わっているので、いいのでしょうかもしれませんが。

3年前に訪問したときにはスタッフを離れていた、村出身のビリーさん(写真左)が再びスタッフに。今回驚いたのは、2002年に彼が日本に来て我が実家にホームステーしたときに寒そうにしていたので寄贈した、父の(当時は存命)のシャツを着て出てきたこと。17年前の服で、かつ手洗いで服の生地の痛みやすいフィリピンで、大切にしていたこと、そういう昔からの性格だったビリーさんの心持ちを、また、気持ちを大切にするフィリピン人と昔付き合っていたことを思い出されました。

現在のCFF子どもの家スタッフと、日本のCFFの事務局でワークキャンプのディレクターをしている内海氏と一緒にパチリ。現在も訳アリで親御さんと一緒に過ごせない17人の子どもたちが生活し、学んでいます。

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卒業後に仕事がないのは、フィリピンの常で、今は理事の経営する各会社に吸収されているようですが、もと事務局長・理事としてなにか将来的に協力できることがあればいいなぁと思う旅でした。

この記事を書いた人
オオサワヨシオ

人権関係の出版社編集部勤務、NPO事務局長としてワークキャンプ企画運営などを経て、フィリピン在住21年。国際社会開発学修士。

ダイビング宿のヴィラマグダレナを奥さんと一緒に運営すること11年目。PADIMSDTインストラクター。ほぼ毎日書いているダイビングとフィリピン生活のブログは21年目に突入。

モータクモー名義で、フィリピンの生活に役立つ電子書籍を出版中。

アニラオでのサンゴの産卵のタイミングを突き止め、今はカクレクマノミの自然環境でのハッチアウトのタイミングを調査中。

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