フィリピンで貧困から抜け出す近道は、いまも海外への出稼ぎです。アニラオの隣町で、それを地で行った70歳に会いました。
晴れてても少し波あり
木曜のアニラオは晴れ。波がまだあるので、ファンダイバー組もトレーニング組も車で移動してダイビング。

午前中は私も一緒に入りました。学生たちに日本語でブリーフィングをしながら、7人いる候補生の半分を担当。トレーニングにも参加。日本語と英語を行き来しながら潜る午前でした。
午後はお使いを頼まれて、一人で車を出しました。ダイブパスを買い、コーヒーを仕入れ、誕生日のケーキを買って、食材の追加調達、学生たちに食べさせたかったビリヤニを予約して、置いてもらったぶんを受け取りに行く。あちこち回る午後です。

その途中でバワンへ。マニラにいたときに洗車ができなかったので、その埋め合わせをここでやってしまおうと考えました。洗車場に車を預けて、外でもできる仕事をしようかと思って身構えたところで、話しかけてくる御仁が。

あ、ちなみにこの洗車場、アンダーウォッシュ(車体下の洗浄もできる)ものとしては、リゾートから一番近いもので、マービンが見つけてきたものでした。
サウジで15年、子どもは40歳と37歳で海外に
話しかけてきたのは洗車場のオーナーでした。デオーストリアさんという70歳の方で、サウジアラビアに15年間出稼ぎに行っていたからアラビア語なら任せておけとのこと。
第一声は「チャイニーズか?」。日本人ですと答えたら、そこから急に距離が縮まりました。白髪がないので染めているのか、もともとそういうタイプなのかは分かりません。ただ、どう見ても60歳くらいにしか見えない。奥さんは9月で71歳になるそうで、いまは夫婦二人暮らしです。
車の話も出ました。ホンダに乗っていて、三菱の30年前のバンをまだ大事に使っている。サウジにいた頃は、陸続きの隣の国まで行ってお酒を買ってきて、4倍や5倍の値段で売っていたそうです。目ざとい人なのだろうと思いました。
子どもは息子と娘の2人。上が40歳、下が37歳。一人はカナダ、もう一人も海外で暮らしているとのことでした。
フィリピンでは出稼ぎが貧困脱出の最短ルートなのか
子ども2人が2人とも海外にいる。アニラオでも出稼ぎは多数いますが、フィリピンでは、出稼ぎに行って海外で財を成すのでないとなかなか暮らしが上向かない。昔から日本へを含め、海外への出稼ぎ・移住は多いフィリピンですが、それが一番ある意味確実な方法として今も残っています。
自分の15年で家を建て、ビジネスも始めた人が、次の世代を国内に留めていない。国内で稼ぐ選択肢がもっと現実的なら、40歳と37歳の子どもがそろって外に出る理由はあまりありません。
フィリピン在住で、国際結婚をした日本の方がXで投稿していた話を思い出しました。その人も、知り合いを日本に留学させて成功したといっていました。留学後仕事をするのもありだし、高めた日本語能力で、フィリピンに帰ってきた後も、就職に有利に働いているケースでした。
経済的に正解でも、家族の形は影響を受けます。デオーストリアさんが15年サウジにいた間、家族は離れ離れ。今後しばらくフィリピン人にとって、海外で働くことはまだまだ有効な成り上がりの手段ではあると思いますが、この古くて新しい、家族をどうするかという課題は、今後も残りますね。
それでも、アニラオの他のケースをみると、家族ごと移住(行き先はイタリアが多い)というのも出てきているので、全てのケースで家族の分断が起きているわけでもないみたいです。
教育の出口を「海外に出られる力」に置くとどうですかね?
知り合いがフィリピンのスラムエリアで寺子屋を始めました。その活動のことも、洗車を待ちながら考えていました。そこで目指しているのは、日本で働けるルートにつながるものです。
江戸時代の寺子屋では、読み書きそろばんを教えていたと思います。基本的な計算と、あとどの言語でも大切な「読解力」、AIが諸々正解らしきものを簡単に出してきてくれる中で、オフラインでもできる計算力と、外界を理解する「読解力」は、今の世の中だからこそ、とても大切なもののように思います。
もし、私が教育に携わるとしたら、そこの部分は強調したいと思いましたし、フィリピンと日本との今後の関わりを考えるうえでも、その能力に加えて、日本を含む海外で学んだり働いたりするルートの開発と確保は、双方の国の人々にとって、悪くないのではないかなと、思いましたね。
帰り道でナビアプリのとおりに走っていたら、行き止まったり、孤独なドライブで、夕食にビリヤニが遅刻するかとヤキモキしましたが、なんとか時間通りに学生たちにBulabogのビリヤニを出せました。
人生初ビリヤニの学生も多かったみたいで、フィリピンの文化ではないものの、カタールに出稼ぎに行ったフィリピン人が直伝で教わってきた中東の味なので、出稼ぎ大国のフィリピンの文化の一部といっても過言ではなかったでしょう。
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