予測では、今日の夜半くらいからスーパー台風21号の影響下に入りそうなアニラオです。朝から曇り。
6時30分のラジオ体操の時間には雨。軒下で雨を避けながら体操。
ギリギリダイビング行けるかと準備していましたが、コーストガードと市長の二重の禁止勧告には抗えず、ダイビングは中止。すべての海のアクティビティは禁止だそうです。飛びそうなものはとりあえず片付けておきます。
片付けも済んでやることなくなってしまったので、スタッフを連れて、タアル歴史地区へ。お客さんも一緒です。アニラオから1時間ほど。
アニラオから行ける観光地として以前奥さんと2人で下見をしたタアル。今回は、将来スタッフが説明できるように、観光案内の下見視点で視察してみようという目論見です。
タアルの教会。入り口の階段の左に市の観光窓口があったので、ガイドをしてもらうことに。昼食休みだったので、昼食後にお願いすることに。一人20ペソは良心的。
前向きの座席のついた、特注のジープニー発見。市内のホテルの私物で、そのホテルのツアーに参加すると乗れるそうな。
というわけで、少し早いけどランチ。ドン・フアンブードルハウス(Don Juan Boodle House)。
売りは、このバナナの葉っぱの上に並んだ料理を手で食べる、ブードルスタイル。数種類ある中から、当然選ぶのが、Taal Specialties Booodle。タアル地方の郷土料理が山盛りです。タアル風のタパ、黄色いアドボ(Adobo sa Dilaw)、タアルのロンガニーサ(Longanisang Taal)、タアル湖でとれる魚タウィリスのフライなどなど。個人的に、スイカはいらなかった。
アニラオヴィラマグダレナでも提供されることのあるAdobo sa Dilaw。オリジナルをコックの舌に覚えさせたい。
Longanisang Taalは、同じくスペインの町並みを残す世界遺産のビガンのロンガニーサに似てます。フィリピンのロンガニーサはかなり甘いのだけれど、これはニンニクのきいた甘くないタイプ。ビールがススムくん。
ランチョンマットは手で食べると美味しいよー、の説明で満たされている。
しっかり食べて嵐に備えましょう。
教会に戻り、ツアー開始。東南アジアで一番大きいカソリックの教会だそうだけど、東南アジアにキリスト教国はフィリピンだけなので、フィリピン一と言い換えてもよいのかも。レンガでなくて、珊瑚の石でできているそう。接着剤に使われているのは卵白だとか。
今回は、通常では入れないベルタワーに潜入。ローカル50ペソ、外国人100ペソですが、ガイドさんが人数と国籍ごまかしてうまく申請してくれました。
遺跡に入っていくみたいな狭くて急な階段90段。おじいさんスタッフ息切れで、ベルタワーの頂上で事切れるのかと思って冷や汗。
手が届きそうな位置にベル。実際届きました。軽くて前に引っ張ってみると、かなりの重量。鐘の端に少し触れただけで、「カーン」と大音響。こんなはずでは。一斉にスタッフがこちら見ました。奥さんは、マービンが鳴らしたと思ったようでしたらが、犯人はわたすです。絶対あとで怒られるとみんな思ったようですが、お咎め無し。
バラヤン湾と古いスペイン風の町並みを一望するベルタワーでした。
前回行かなかった、ウェディングギフトハウスへ。ヴィラヴィンセンシオ家のもので、結婚式のときに親から寄贈された家。この当時の富裕層の建物に共通して、二階が住居。一階が物置や馬車の車庫であったが、当時、独立闘争で傷ついた革命軍の病院として一階を使っていたそう。メインの通りから一本裏の通りなので、ガイドがいなかったら難しかった場所です。
ポルトガル産のタイルは当時のまま。フィリピンで複製して、その後の修理に使うタイルもほぼ同じものを使用。
Don Eulalio Villavincencioは、フィリピン独立の英雄、ホセ・リサールの2つの著作、香港で印刷された、「ノリメタンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」の出版費用を受け持った方だそうです。当時のペソで1万8千ペソ。
一部の部屋が資料室になっていて、ありました。『ノリメタンヘレ』ほか。
豪華応接セット。とりあえず記念撮影タイム。女子ごととなると途端に元気になるおじいさん。嫁に言いつけてやる。胃が丈夫で、いつまでも青春がフィリピンでも長生きの秘訣らしい。
古い町並みは相変わらず。
前回お邪魔した、フィリピン国旗を縫ったアゴンシリオ家。資料など説明がいろいろ追加されていました。台風の影響で半日で営業は終わりだったのですが、ガードマンを説得して入れてもらいました。
フィリピン国旗を縫う像。前回と違ってちゃんとライトアップ。
タアルをあとにする頃にはかなりの雨。みんなビシャビシャになってアニラオに帰ってきましたとさ。夜半に強風域突入です。
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