50年前のペンパルを捜せ

リタイヤ後フィリピンに住まわれていて、アニラオにたまに潜りに来られる、ベテランダイバーさんから相談がありました。

「母の遺品を整理していたら、自分が50年前女学生だった頃に文通していたフィリピン人ペンパルの手紙が出てきた。まだ生きているようならあってみたい。」

封筒に書かれている住所を手がかりに一度運転手と一緒に探してみたときは、その住所に行き当たらなかったのだという。

文通していて、50年前の当時家族で日本に遊びに来たこともあるフィリピン人女性(皇居の前で待ち合わせしたそうです。当時の写真も白黒で封筒にはいっていました)。かなり裕福な家の出身だとは想像できますが、果たして見つけることができるでしょうか。

というわけで、ディテクティブゆみちゃん行動開始。先日は、手紙の送り元の住所が書いてあるケソン・シティに。封筒の住所はすでになく、ケソン市役所へ。

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入口付近ではなぜかマッサージの集団。

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不親切なフィリピンの役所を想像していると、一人職員がつきっきりになってくれて、いろいろな部署まで案内してくれました。

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古地図のセクションで、現在の地名がどうなっているのかが判明。一歩前進。

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その該当する住所にいってみると、スターバックスになっていました。その奥に見える倉庫のような建物はピノイビッグブラザーの収録ハウス。随分いい場所にあったお家のようです。

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役所の人は親切に土地の所有者の名前と住所も教えてくれましたが(日本でうるさい個人情報は?)、住所はサンバレス州。ピナツボ火山の麓でマニラから100キロすこし北です。こちらは後日トライしてみることにして、第一日目調査を終えました。

調査日第二日。目的地はサンバレス州サン・フェリペ。途中オロンガポとスービックを通ります。

スービックは、マニラから見てアニラオと等距離くらいにある北のダイビングスポット。以前の軍港で今の貿易港であるスービック湾は透明度も悪く、ファンダイブには向きませんが、沈船があるので、テクニカルダイビングには向いている場所です。と何度も説明してきた場所ですが、行くの(通るだけですが)は初めて。

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朝食はスービックのマンイサルで。ご飯食べ放題の焼き鳥屋です。マニラにももちろんフランチャイズであちこちありますが、スプーンとフォークで上品に食べています。一方こちらでは、9割方素手。手で食べるとより美味しいですよね。

手前のオロンガポも、学生時代に読んだ売春や児童虐待の本で何度も登場した街。当時アメリカ軍基地の兵隊向けの飲み屋やゴーゴーバーがたくさんあった場所ということですが、廃れ気味のバーや、黒人の血のはいった住民が歩いていたりと、今もその面影はありました。でも通るだけ。

20世紀最大の噴火といわれたピナツボ火山のお膝元。ラハールという火山灰の土砂をながす運河が海に接する地点も遠目に見えました。

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で、サン・フェリペへ。

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町役場はピンク。

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市長が女性だからだそうです。

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ペンパルの家族の名前はバレト(Barretto)。他に客のいない町役場の窓口で聞き込みをしていると、ヨメがバレト家出身だった職員が電話してくれたり、なんだか鶴瓶の家族に乾杯の様相を呈してきました。

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ケソン市の土地の名義人は、サンバレス州知事を出したバレト家の人であることがわかりました。州知事の家を含むバレト名家が数件集まっている場所があるので、そこにいくように勧められ、更に北上すること数分。

あの先のアカシアの木の前の家らしい。

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それらしき豪邸に到着。呼び鈴がないけれど、音楽が聞こえてくるので人はいるみたい。

「タオポー(ごめんください)」を繰り返すと、おじさんが出てきました。使用人のおじさん。

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17歳から約50年バレト家に仕えている人で、手紙の主もよく知っているとのことで、大当たり。結局、サンバレス州知事を努めたマニュエル・バレト氏のお嬢さんが文通相手でした。50年前の写真と手紙を見せながら確認とりました。

が、フィリピンのお金持ちにありがちな、田舎には住んでいない事態発覚。晩年はマニラか海外に澄むことが多いお金持ち。この実家にも数ヶ月に一度程度しか戻って来ないようで、このおじさんが家守りとして一人で住んでいるだけ。

お嬢さん、結婚して今は別の姓になり、なんとケソン・シティのアヤラハイツに住んでいるそう。灯台下暗し。聞き込みをしたケソン市役所のすぐ近くやん! しかも、奥さんの再会したお友達のアバキンさんとも同じヴィレッジ。おじさんに連絡先を残して、アヤラハイツに行ってみようということに。

おじさんから連絡が行った模様で、マニラへ向かう道中、ペンパル本人から電話がありました。サンバレスから3時間。アヤラハイツのご自宅で面会できることに。

帰りの途中、フィリピン一美味しいと評判のサンバレスマンゴー購入。1キロ80ペソ。とれる時期が短いので、セブマンゴーより知名度は低いですが、あま~いの。

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で、無事面会。50年前のペンパル捜しという難しい課題でしたが、2日でミッション完了です。

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ご主人も紳士な方でした。日本にも何度もいかれている家族で、下の娘さんはファッション雑誌のカメラマンとしてしばしば東京に滞在しているとか。ご主人も商社と仕事をしていたことがあったので、ホテルオークラとか、帝国ホテルとか、筆者の泊まったことのないホテルの常連客。B級グルメもすきな日本を愛す穏やかなフィリピン人家族でした。

アバケンさんといい、バレトさんといい、古い知り合いに再会できる今年は良い運気なのかもしれませんね。もっといいことあるかもと期待しつつ、調査報告を終わります。

注)アニラオヴィラマグダレナは興信所事業はしていません。念のため。

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